2004年04月12日

<レポート>MD京成大久保駅前

 ミスタードーナツ京成大久保駅前ショップ(千葉県習志野市、店番0563)は、首都圏地区には珍しく、実験的要素を盛り込んだ店舗になっている。直営店ではないと聞いているが、普通の店と異なることをフランチャイズでここまでできるのだろうか。
 ともあれ、普通の店と異なる部分を中心に、4月11日現在の状況をお伝えしよう。なお、これ以外の情報については「ミスドファン」というサイトが詳しい。
20040411news
・飲み物はドリンクバー210円。注文すると、日付を印字したコースターを渡される。コースターの色は時間帯で分けているらしく、私のは黄緑色だった(トレー右上)が、長居している人は青色だった。
・チョコレートを生地に挟んだ「ピンホイール」(皿右)は、風車の形にひねって揚げ、蜂蜜?砂糖水?を塗りたくって黄色い砂糖の粒(ゴールデンチョコレートと同じ)をかけてある。税込み126円。
・「ベアクロー」(皿左)。よくわからない形をしていて、ママレードの入ったハニーディップという感じ。126円。
・単価42円の「プチ」シリーズ。Dポップの1.5倍くらいの大きさで、ハニーチュロ、ゴールデンチョコ、エンゼルクリーム、チョコファッションの4つ。
・「ホットドーナツ」。ピザとからしマヨネーズ中華の2種類。特販コーナーが対面カウンター横にあって、オーダーを受けてから揚げる。147円。
・定番商品ももちろん扱っているが、「ココナツケーキ」「ゴールデンケーキ」などのケーキ物は珍しい。プレーン、シナモンが105円、ココナツ、ゴールデンが115円。
・従業員のユニホームは、帽子は他店と同じベージュ。シャツは白で、前ボタンが2列についている。ベージュのエプロンを腰にしている。女性のスカート(キュロットではない)と男性のズボンはダークグレー。
・什器は普通のT型と同じ(椅子のクッションカバーが赤と青のビニール)だが、壁紙がコーヒー・小麦・蜂蜜のイラスト。カウンターとキッチンの壁は煉瓦サイズの白タイル。座席39席(うちカウンター5、喫煙12)
・飲茶はなし。
<周辺の状況>
・駅前の交差点から先が地元商店街で、そこそこ賑わっているもののどことなくイナカイナカした雰囲気。
・交差点に三井住友銀習志野支店あり。
・道路拡幅工事準備中。
posted by 為栗 裕雅 at 02:22| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年04月27日

<レポート>MD箕面

箕面(りそなdeミスド)

 りそな銀行箕面駅前支店のATMコーナーから、ミスタードーナツの「箕面」ショップを写す(反転してある)。ミスドの箕面は今月2日にオープンしたばかりの「日本第1号店」である(2001年以来休業していた)。見てのとおり、看板のデザインが通常と異なる。

 箕面は今後の標準となるらしい店舗内装で、関東地区では「鹿島田」ショップ(川崎市、4月9日オープン)と同様。但し「全く同じではない」という話を先日聞いたので、鹿島田ショップとの差異で気付いたものをご報告しよう。私は鹿島田ショップには開店初日の9日に出向いている(比べるつもりで鹿島田を見てないので、正確な比較でないのが残念)。

・共通するのはマホガニー(?)の板をステンレスのアングルで挟んだ内装。全体的に「濃茶」。色調は看板の地色と同じ。
・いちばん目立つのは喫煙室のパーティション。箕面は普通の四角い枠にガラスをはめたものだが、鹿島田はマホガニーの板に直径20cmくらいの丸穴をいくつも開け、そこにガラスがはめ込んである。
・壁紙。箕面は普通の白だが、鹿島田は模様の入った黄緑色。
・トイレ。電気仕掛けで便座を開閉する装置は鹿島田にはなかったはず。

 あとは、記憶が曖昧だが、椅子の色(箕面はエンジ色のレザー風のビニール)、壁の石積み風タイル(鹿島田にあったかな?)、開業当時のポスター(箕面は1号店なのでメモリアル展示をしている)、といったところも違ったような気がした。

 中の写真も1枚くらい撮ってくればよかったねえ。
posted by 為栗 裕雅 at 18:45| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月17日

「二郎」のラーメン

 「二郎」のラーメン。「あれはラーメンではない、二郎という名の食い物だ」との評判で、何年も前から食べたい食べたいと思いながらタイミングに恵まれなかったのですが、土曜日、ついに意を決して食べに行ってきました。そして、すっかりハマってしまったので、今日また食べてきました。印象などご報告。
 私が行ったのは、京王線仙川駅徒歩1分の「仙川店」(東京都調布市)。「二郎という名の食い物」との評判でしたが、ま、やっぱラーメンですね。基本的な焼き豚1枚の「ラーメン」が580円、これが焼き豚4枚になると700円(商品名忘却)、8枚入りの「ダブル」で800円。大盛りもあり、これに100円増し。以上は最近値上げしたばかりのようです。
 私の味覚。うまいかまずいかは、はっきり「うまい」。
 今日は焼き豚8枚の「ダブル」を食べましたが、肉が非常に硬い。と言っても安物ではなく、ちゃんと腰があって硬いというところが偉いと思います。厚さ1センチ近くあるんで、肉好きの私にはこたえられません。スープはややしょっぱい目の醤油味でした。
 ラーメン屋とは思えぬほどの静かな雰囲気で、店主と手伝いの二人で淡々と仕事を回していきます。ボリュームを抑えたBGMはCCBとか中山美穂など私の高校時代のヒットナンバーで、店主は私と同年代のようです。カウンターが10席ぐらいしかなく、すぐに満席となるのですが、店のやり方に慣れるまではまごついてる客が多いのだから、積極的に待ち客を誘導して欲しいな、と思いました。ここだけが私の感じたアラの部分で、あとはちゃんと営業している店だと感じました。張り紙類もちゃんとレイアウトしてきれいに書いてあるし、誤字もありませんでした。
 野菜多目、おろしにんにくサービスなどをしてくれます。ここで有名な「呪文」を唱えるわけですが、日本語で説明した私のオーダーを店主がたちどころに翻訳したところによると「野菜にんにく」で「野菜多目・にんにく入り」のようです。にんにくも、粗下ろしの強烈なにおいのするやつがこんもりと入ります。

 というわけで、為栗印象では「一食の価値がある」二郎のラーメン。仙川店の場所はここです。
posted by 為栗 裕雅 at 00:59| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月24日

電子レンジで焼き魚

シート箱

 こんな新商品を見つけました。「チンしてできたて うれシート」(花王)。
 買ったのは自宅近くの西友ですが、発見したのはJR成田線木下駅前のライフでしたから、おそらくどこのスーパーでも置いてると思います。幅22cm長さ2.5mで198円でした。
 というわけで早速試してみました。中身は凸凹のついた厚手のビニールシートで、中にアルミ箔が仕込んであります。鮭の切り身をシートに密着させるように包んで、レンジで2分30秒。

鮭出来上がり

 出来上がりはこんな感じです。中まで火が通っています。ちょっとだけふやけた感じもしますが、男の一人暮らしの朝食にはこれで十分(妻に出されたら激怒…妻いませんけど)。

 というわけで、今日の朝食は、電子レンジで焼いた鮭と、電子レンジで温めたごはん、それに賞味期限の切れた納豆でした。
posted by 為栗 裕雅 at 08:29| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月28日

定食店「O」のS北沢店に天誅を下せ

 「O」という定食店のチェーンをご存知でしょうか。私が学生の頃は池袋と高田馬場の2店だけだったと思いますが、さっきHPを見てみたら、北は仙台から南は那覇まで出店していて、関東地区中心だと思っていたのがいつの間にこんなに大きな会社になったのかとびっくりしました。誤解のないように言っておくと、「O」は好きな料理店の一つです。
 5月4日(火・祝)の晩、OのS北沢店を利用し、ついに堪忍袋の緒を切らしました。S北沢は以前から細かな点で癇に障る店だったのですが、4月17日(土)に夕飯を食った後、本社のフリーダイヤルに積もった不満を話していました。まずこういう伏線があることを押さえた上で、次の文をお読み下さい。5月4日帰宅してから打ったメール文です。

 前略 先日、御社S北沢店について一言申し上げた者です。
 本日、S北沢店を再度利用させていただきました。先日のクレームをどのような形で店舗運営に役立てていただいているのか、クレームをつけた者としては見届ける責任があろうかと思ったからです。
 残念ながら、達した結論は「今後、御社S北沢店は二度と利用できない」というものです。その理由は、クレーム後も改善の跡が全くみられないところにあります。私は先日そちらの担当者の方と電話でお話しした際、「一つ一つは些細なこと、その積み重ねがS北沢は大きい」と申し上げました。しかし、S北沢店での本日の応対は、細かい点を改善しようという意識が全く窺えない点で、大いに不満が残るものでした。内容を以下に示します。
・まず、応対以前に、今日の料理は定価を払うことに抵抗を感じました。鯵の開き定食でしたが、焼き方がウエルダン過ぎ、ご飯は餅のような固まり。取り替えてもらうほどひどくはなかったのですが、こういう中途半端な状態はかえってストレスがたまります。
・応対の話に戻ります。店に入ったとき、「いらっしゃいませ」の声はすれども、店員がいっこうに出てこない。ガラスの奥ではキッチンで男性店員二人が談笑しているように見えました。ガラスをどんどんたたいたところ、キッチンの二人とは別の男性店員が出てきました。(手が離せないなら手が離せないで「少々お待ち下さい」ぐらいは言えませんか?)
・ご飯の「大盛り」がオーダーとして通っておらず、出し直してもらいました。前回はこれで追加を払わされたので頭にきていましたが、今日は大盛り分は請求されませんでした。(「安く食べられたのだからいいじゃないか」とはおっしゃらないで下さい。店員に緊張感が欠けていることの証拠ですから)
・緊張感といえば、私が店に入ったとき、無人のレジの現金皿に700円放置されていました。前のお客さんの代金だと思います。店員さんは私が出したものと誤解していましたが、その後のことを考えると、素直に御馳走になっておけば良かったかもしれません(もちろん、私の金でないことを告げ、自分の分は自分の財布から支払いました)。
・私が食事している席に紙ナプキンを交換に現れ、物音のほうを向いたときに初めて「失礼します」といった男性店員。前回のクレームと同じ内容です。何をかいわんや。(行為の前に声をかけるように!)
・ウエートレスがお茶を無言で置いていく。隣の女性客には「失礼しまーす」と愛想を振りまいたのに。(客によって応対を変えるのはいいが、マイナスの方向に差をつけないように!)

 事の顛末は以上です。非常に悲しい思いだ、とだけ申し上げておきます。あとは御社の良識で判断して下さい。

 複数回のクレームを経ていますので、チェーン名と店名は名指しにしていました(5月30日友人指摘により匿名に変更)。「O」には愛着があるがゆえに、改善して欲しいとの気持ちでクレームをつけたのですが、この会社は利用者からのクレームを右の耳で聞いて左から抜けさせてしまうから困ったものです。規模を急拡大した会社には、こうした傾向がよく見られます。
 4月17日に本社のフリーダイヤルに電話をかけて「月曜日に担当者からお電話します」という約束をされたにもかかわらず反故にされ、催促のメールを送って翌火曜日に初めて私のところに電話してきました。そこで話をした内容を踏まえて当該の店を再訪したところ、上記のような応対をされたわけです。しかも、このメールに対して、「O」からのレスポンスはありませんでした。いちおう3週間待ったわけですが。これが「O」の「良識」なわけです。

 上のメールに書いた「些細なこと」というのは、本当に些細なことばかりです。某月某日、私の後に入ってきたカップル客に先にお冷やを出した。某月某日、食券を買う際にご飯を「大盛」にしたにも関わらず大盛になっておらず、後から金を払わされた。某月某日、食事をしている私に「失礼します」の一言もなしに机の上の醤油瓶を取り替えた(しかもその店員はその直後「休憩入ります」と言って事務室に消えた。アンタが休憩するために大急ぎで醤油の詰め替えを片付けたのかよ)、等々。

 接客の極意が述べられているのを新聞などでたまに見ますが、そこでよく見かけるのが「クレームをよこすのはありがたい客。本当に怖いのは、文句も言わず黙って二度と来なくなる客。」という一節です。この点からすると、私のような「ある程度我慢し、我慢の限界を超えたらクレームを出し、引き続きその店は利用し続ける」客は「神」と呼ばれるに値するのではないでしょうか(別に為栗個人が神だと言っているわけではありません。念のため)。
 かつてコンビニで夜勤バイトをしていたことがありますが、ある朝、勤務終了が近い7時台に怒らせた中年サラリーマンは、店に二度と来ませんでした。きっかけは些細なことです。冷たいジュース類と電子レンジで温めた惣菜を、うっかり同じ袋に入れようとしただけですから。私ならこの程度でブチ切れたりはしないですが、世の中いろんな人がいますからね。ともかく、こういう些細なことがきっかけで、客を失うことがあるわけです。そして、こうも言います。「雨だれ石をうがつ」。一つ一つの事象は細かくても、それが積み重なると大事件につながります。
 「O」は、そのうち何かのっぴきならない事態を起こす。そんな気がしてなりません。

 なお、クレームはつけましたが、当家の最寄りの店(S北沢ではない)は今後も引き続き利用するつもりでいます。甘いかな?
posted by 為栗 裕雅 at 07:51| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年06月23日

旧「前橋LIVIN」と群馬銀行本店

 私の社会学的な出身地(小学校卒業時点の居住地)は群馬県前橋市でして、これは別に隠しているわけではありません。ただ、「社会学的な」とわざわざ断りを入れているぐらいですから、完全に土着の群馬県人というわけでもありません。生まれ育った都内某所(本籍地でもある)からは、小学校入学直前という非常に微妙な時期に引き剥がされてしまったため、アイデンティティの確立が中途半端なまま現在に至っています。私の出身地はいったいどこなんだろう、という思いは常にあります。
 さて、そんな中途半端な出身地、群馬県前橋市の市街地は、これまた非常に中途半端な現状です。20年位前の地方都市の市街地が栄えていた時代の面影を残しつつも、目抜き通りはシャッターストリートと化している。いっそ明治初期の「桑茶政策」<注>みたいに外貨獲得のために商品作物でも栽培したら、と思います。
 前橋のシャッターストリートの中で一番の大物といえば、2004年1月12日限りで閉店となった旧「前橋LIVIN」でしょう。1975年6月に西友前橋店としてGMS業態にて開業し、翌1976年に西友百貨店事業部の前橋西武店に店名・業態を改めたもの。2000年9月、セゾングループ内での店名呼称問題などにより、店名を「LIVIN前橋店」に再度改めました(情報ソース:「ようこそ!LIVINねこの部屋へ」)。私が高校生くらいまでは、町に出たらまず西武へ行ったものです。

 前橋LIVINの建物の1階には、群馬銀行の前橋支店があります。LIVINの閉店後も、銀行は引き続き営業しています。
 今年4月、「遊牧民の窓」のBBSに一つご質問をいただきました。

「前橋LIVINがあった場所にはかつて群馬銀行の本店が所在していたのでしょうか」

 質問に対してのお答えは宿題としてもらいましたが、調べる時間がなかなか取れませんでした。先日ようやく広尾の山のてっぺんに行く機会があったので、調べてきました。参考文献は「群馬銀行の30年」群馬銀行調査部行史編集室編、1964年。なお、群銀の本店は1972年に郊外の元総社町に移転しています。

 質問された「LIVINねこ」さんへのお答え。
 本店跡地で間違いありません。

 巻頭に本店全景のカラー写真が出ているのですが、前橋市本町の交差点から見た風景に酷似しています。その次のページには、本店屋上で撮影した役員の集合写真が掲載されており、富士・埼玉・協和の3行が一緒に写っています。協和銀行の建物は現在も空き家のまま残っています。位置関係からして、間違いないように思えます。

 ここまでなら問題なく本店跡地と言い切れるんですが、中の文章を読むと迷いが出てきます。
 1878(明治11)年に第三十九国立銀行本店として開業したときの所在地は「東群馬郡前橋本町第93番地」で、これは明治25年の市制施行で「前橋市本町93番地」となります。1945(昭和20)年8月5日の空襲で本店が焼失すると竪町支店(現在の前橋市千代田町)内に移転し、翌1946年には仮社屋を建てて元位置(本町93番地)に復帰。
 問題はここからです。1952年3月3日、ディスクロ誌にも写真が掲載されている旧本店が落成するのですが、所在地は「本町20番地」。場所が動いてるんです。社史を抜粋します。「仮社屋のある位置は、明治11年いらいの地という愛着はあったが、敷地の広さがじゅうぶんでなく、この土地の筋向かいの、もと上毛物産銀行および生糸改所のあった土地を建設地ときめた。同所は本行所有地で、仮社屋の位置からもちかく…」
 なぜ迷ったかというと、ここで写真をもう1回見てみると、富士銀行との位置関係からして、LIVINのある場所よりも西に寄っているように見えたからです。旧第一勧銀の支店(現在空きビル)か、現中央三井信託の支店のあるあたりか。最近帰省してないので確信が持てませんでした。

 というわけで、前橋市役所に電話をかけて聞いてみました。現在の前橋支店のある「前橋市本町2丁目12-19」が、住居表示改正前の「前橋市本町20」に当てはまれば、LIVINの場所が旧本店と確定されることになります。で、市役所で調べてもらった結果、旧「本町20」は現在の「本町2丁目12-19」に当たるそうです。

 というわけで、お役に立ちましたでしょうか。

<注>桑茶政策:明治維新で江戸中心部の武家屋敷は大量に空き家となり、治安上問題になったため、当時の中心的な輸出品である茶と桑(カイコのエサ)を栽培した。現在の霞が関や永田町界隈は、昔は茶畑・桑畑だったのである。

<Special Thanks>前橋市役所資産税課・まつながさん。この件は市民課の管轄であるそうで、わざわざ市民課から資料を取り寄せて回答していただきました。
posted by 為栗 裕雅 at 16:35| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年09月22日

交通事故死者数の減少は少子高齢化と関係あり、じゃないか

 昨日書いた「交通事故死者数が減っているのはめでたいことか」の記事、特に調べて書いたわけではなかったのですが、疑問を呈するコメントもありましたので改めて公的統計を当たってみました。警察庁統計「平成15年中の交通事故死者数について」【1】、および国立社会保障・人口問題研究所「人口の年齢構造に関する指標」【2】

【1】
20040922_jikoken
【2】
20040922_jinko

 折れ線グラフ【1】は昭和21年からの統計です。真ん中の点線は「死者数8000人」および「発生件数・負傷者数80万人・件」です。死者は●の線、△は負傷者数、□は発生件数です。
 折れ線グラフ【2】は総人口に占める0〜14歳および65歳以上の比率(%)。面倒くさいので年次の数字は入れてませんが、1940年から2000年までおおむね5年刻みのデータです。

 交通事故死者数の過去のピークは1970(昭和45)年で、16765人。そこから10年ほどで急激に下がりまして、平成に入る頃までじわじわと上がり、平成に入ってからは一貫して減少傾向にあります。
 事故の発生件数と負傷者数を見ますと、興味深いことに死亡者数の「平成に入る頃まで」の数字とほぼシンクロしています。こちらは平成に入った後も一貫して増加傾向を続けています。

 ここから何を読み取るか、ということなんですが、私はこう考えます。精緻な分析ではないので、どこかに間違いがあるようなら指摘して下さい。

(1)幼年人口は減り続け、老年人口は増加し続け、2000年にはついに逆転している。
(2)人口構成のひずみは、特に平成に入るころから顕著になりだした。
(3)交通事故死者数のトレンドは「減少傾向」。幼年人口のトレンドに一致。
(4)負傷者数と発生件数は「増加傾向」。老年人口のトレンドに一致。
(5)平成以降、負傷者数が増加しているのに死亡者数が減少しているのは、確かに「医療技術の進歩」もあるかもしれない。しかし、幼年人口比率と死亡者数のトレンドが特に平成期において一致しているのは、関係がないとは言えない。
(6)老年人口が増えていることと事故件数・負傷者数が増えていることの一致は、これまでとは違う原因ではないか。たとえば、紅葉マークのドライバーが増え、接触事故とかの些細な事故は増えたかもしれないが、交通ルール無視による大事故は減っていると考えられる。

 というわけで、私の結論は今のところ「交通事故死者数の減少は少子高齢化と関係あり」で変更ありません。
posted by 為栗 裕雅 at 07:30| 東京 ☀| Comment(6) | TrackBack(0) | レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月23日

英語嫌いの元英語講師のたわごと

 ホームページの「Foreign Languages」のページをご覧いただくとわかるとおり、私は世で「英語」と呼ばれている言語が嫌いです。言語帝国主義とか何とか色々と後付けの理由はあるのですが、もっと単純に、私は勉強が嫌いな人間だったので、学校でも英語(と数学)が一番嫌だったのです。
 大学は私立文系にしたので数学からは逃れましたが、英語だけは仕方ありませんから、それなりに学習しました。私は一応有名大学と言われているところの卒業ですが、それは私が入った年の英語入試問題が異様に簡単だったという幸運に助けられてのことです。

 大学卒業後、職がなくて仕方なく就いた塾講師。ここでは中学生を相手に英語を教えることが多かったのです。50分の授業をつなぐためにはそれなりに準備をしておかなければなりません。自然と苦手な英語を再学習する機会になりました。この「中学英語の再学習」は、計り知れないプラスになったと思います。大人を相手の英語学習のアドバイスでも、「中学英語の総復習」は筆頭に掲げられると思いますが、まさにゼロからスタートして一定のレベルで英語が使えるようになるための最短コースだと断言できると思います。
 それにしても、私から英語を教えられるとは、横須賀市南部の中学生(一部)には気の毒だったかもしれません。なにせ例文が全部「natto」ですから。It is important for me to eat natto. とか、I have a doll which can eat natto. とかね。

 閑話休題。この記事のメインテーマは「翻訳サイト」です。
 ポータルサイトにはいろんな機能がついてますが、「翻訳」の機能もあるんですね。
 私のwebサイトは「日本語以外の言語によるページを作成する意思は<font size="8" color="ff2400"><b>ありません。</b>」と言い切っておりますが、それでももしこの機能がまともに作動するなら、サイトマップぐらいは英語版を用意しようかな、とちょっと考えました。

 先日「エキサイト」の翻訳機能をたまたま発見したので、試しに使ってみました。題材は、アクセス記録によるとあまり読まれていない「風雅の技法」。日産フーガはヒットしているようですが、私のブログ記事はいまいちのようです。

 まずは原文から。
数日前の新聞に掲載された、日産自動車の高級車「フーガ」の広告、あれいいですね。日経では先週土曜(6日)の朝刊最終面のカラー広告です。楽譜の写真と車の写真とを並べています。HPを見ましたが、いやー高級車だ。欲しくなっちゃいました。

 続いて、自動翻訳の結果。
Are the advertisement of the luxury car "a fugue" of Nissan Motor carried by the newspaper of several days ago and that good? In Nikkei, it is the color advertisement of the morning-paper last side on Saturday (six days) last week. The photograph of a score and the photograph of a car are put in order. Although HP was seen, it is a disagreeable-luxury car. It was made to want now [ なっちゃ ].

 これを再び日本語に訳すと、こうなります。
数日(数)前の新聞によって掲載された日産自動車およびそれに高級車「フーガ」の広告である、よい日経では、それが先週土曜日(6日)に朝刊の最後の側のカラー広告です。スコアの写真および自動車の写真が整理されます。HPは見られましたが、それは嫌な高級車です。それは今[なっちゃ]を望むために作られました。

 「おはよう」を英語に訳して、さらにそれを日本語に戻すと「よい朝」となる、と言われますが、これはまたそれ以上にハチャメチャな文になってますね。面白いもんです。
 中でも、最後のほうで、感嘆の「いやー」を「嫌」と判断して「disagreeable」という訳語を充てた時点で終わっております。「それは嫌な高級車です」と正反対の意味になってしまいました。

 少しいじってみましたが、マシになった程度でしかありません。
I think that the advertisement of the luxury car "Fuga" of Nissan Motor carried by the newspaper of several days before was good. In Nikkei, it is the color advertisement of the morning-paper last page on the 6th, Saturday, last week. The photograph of a score and the photograph of a car are put in order. I watched the HP, I thought that it is a luxury car. I thought that I wanted the car.

私は、数日の新聞によって以前に掲載された日産自動車の高級車「Fuga」の広告がよかったと思います。日経では、それが第6、土曜、先週の上の朝刊最後のページのカラー広告です。スコアの写真および自動車の写真が整理されます。私はHPを見ました。私は、それが高級車であると思いました。私は、自動車を望むと思いました。

 中学英語的センスでは「I thought that I wanted the car.」で「私はその車が欲しいと思った」になるはずなんですがねえ。
 意図していた日本語は、以下のとおりです。
私は、数日前の新聞に掲載された日産自動車の高級車「フーガ」の広告が良かったと思う。日経では、先週6日(土曜)朝刊最終面のカラー広告である。楽譜の写真と自動車の写真とが並べられている。私はHPを見たが、高級車であると思った。私はその車が欲しいと思った。


 結局こういうサイトは、日本語の英訳だったらまずざっくりと日本語の文を入れてみて、微調整しつつ齟齬のないものに仕上げていく作業が不可欠のようですね。場合によっては、自分の英語力でエイヤッと仕上げたほうが早いかもしれません。
 それとも、無料のサイトだからこの程度なんでしょうか。高い翻訳ソフトだったらもう少しマシなのかしら。
 英語版サイトマップは…面倒くさいのでやめます(^_^;) というか、日本語のサイトマップすら作ってないのに気づきました…。

 他の言語を日本語に訳す機能のほうが有効に使えるかも。単語さえ日本語になっていれば、あとは文章が少々へんてこでも意味が通じます。英文だけのサイトを見る際には威力を発揮するでしょう。

 私の英語力のなさをさらけ出しているだけのような…。ほなさいなら。
posted by 為栗 裕雅 at 11:31| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月06日

三が日、高崎駅にて考えた

 元旦の夕方に自宅を出て、現在群馬県内の実家におります。新年2回目のエントリは、実家からお届けします。いつも1〜2日程度しか帰省しないのですが、今回はちょっと長めの滞在です。と言いながら、期間中に2回は自宅に戻る予定なのが悲しい…(1回は昨日実施しました)。

 3日の夕方から夜にかけて、群馬県の商業の中心・高崎市にいました。バス待ちの15分くらいの時間に、JR高崎駅の改札周辺で人間観察をしていました(ボケーッと突っ立っていた、とも言う)。正月休みを実家で過ごした人の戻りのラッシュ【注】の最中で、珍しくごった返している様子を、見るともなく観察していて気づきました。
 3が日の終わりに高崎駅から戻る人は、圧倒的に10代・20代の若い人ばかりです。これって、案外特異な現象ではないでしょうか。

 私の想像。例えば盛岡駅や山形駅だったら、若者ばかりということはなく、老若男女入り乱れての混雑になるのではないでしょうか。この辺は、東京からの距離と、他の交通機関の発達度とに応じて異なると思います。

 10代・20代に共通して見られる特性。それは、経済力がないことです。金がないから、公共交通機関を使うわけです。といって、群馬県は東京から100kmしか離れていませんから、航空路線はもちろんないし、高速バスもあまり発達していません。必然的に列車が主体となります。
 そして、群馬県が、一人あたりの自動車普及率がいちばん高い県だということもあります(調べてませんが、今も変わってないと思います)。群馬のような「車がなければ生きていけない」県で育った人は、経済力があればまず車を買うでしょう。よって、30代以上の金銭的に豊かな層は、余程のことがなければ車で帰省するのではないかと思います。といって、あまり遠いところだと自分で運転して行くのは面倒くさいでしょう。車で帰省する人の率の高いのは、大体200kmくらいまでではないでしょうか。とすると、東京基準では静岡・長野・新潟・福島まで。そこより先は新幹線、なければ空路、経済力のない人は夜行バスや「青春18きっぷ」を利用するだろう。
 というわけで、新幹線があり、かつ空路の東京線がない盛岡や山形あたりは、ターミナル駅が老若男女で混雑するというわけです、私の想像では。
 各都市ごとに特有の事情がありそうで、調べてみると面白いのではないかと思います。

 ちなみに、5日の晩にも高崎駅に行きましたが、戻りのラッシュが終わって閑散としておりました。遅くとも今日仕事始めだったところが多いでしょうから、今頃まで実家でうだうだしている人は自由業の人が多いのでしょう…俺のことかい。

【注】戻りのラッシュ:キー局のニュースで言うところの「Uターンラッシュ」のこと。ちなみに「帰省ラッシュ」は地方局では「入り込みのラッシュ」と言っている。小生も含め、在京キー局しか見たことのない人には新鮮な言い回しなのではないだろうか。
posted by 為栗 裕雅 at 00:09| 東京 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月10日

存亡の危機か「ムーンライトながら」

 6日のブログ記事で予告したとおり「激安夜行バス、衝撃の乗車レポート」を公開します。
 この記事は6日の記事とセットでお読み下さい。
______________________________________________________________

 2005年2月4日(金)夜。「ラーメン二郎」某店で腹ごしらえ、その後某モスバーガーで時間をつぶす。
 23時に新宿に到着するつもりで、京王線の各駅停車に乗車。乗った途端に、芦花公園駅近くで人身事故があったとかで、電車が止まってしまう。よりによってこのタイミングで止まるなよ、と思いつつ、復旧の見込みが立たなさそうで焦る。結局、途中駅で立ち往生した私の電車は、所要時間としては10分ほど余計にかかって新宿に着いた(ダイヤ上は30分遅れであったらしい)。
 新宿での集合場所は「西口・八十二銀行前」である。八十二銀行は長野県のトップバンクで、都内には5店(日本橋・新宿・池袋・青山・八王子)を持つ。新宿西口にある八十二銀新宿支店のあたりは何度か行ったことがある。
 よく知っている道を行くと、仰天すべき光景が広がっている。駅前の角、富士銀行新宿西口支店がかつてあったあたりから、都庁方向に向かってものすごい人ごみで、100人以上が行列を作っているのだ。ヤソジのあるあの界隈は、昼間は交通量は多いものの静かなオフィス街である。あの界隈が、夜間にあんなにごった返しているとは全く知らなかった。
 この人たちはみんな、私と一緒のチャーターバスに乗る乗客である。中小の旅行会社が共同で予約を受けているから、点呼の列は何か所にもできている。バスはその場から見えないものも含めて20台程度は並んでいるだろうか。金曜の夜とは言え、新宿発だけでこの台数。しかも、私が乗ったのは「103便」といって、3本設定されているうちのいちばん遅い発車。ということは1時間前・2時間前にも同じ場所で同じ光景が繰り広げられていたわけだ。冬のこの時期に東京→大阪の夜行のニーズがここまであるとは驚いたが、それにしても私が十代の頃から愛用する「大垣夜行」改め「ムーンライトながら」は、一体どこへ行ってしまったのだろうか。
 一人の男性係員に声をかけると、「■■■■(私が申し込みをした旅行会社)の人(お客さん)は黄色いジャンパーの人(が受付をする)ですね」とあっさりたらい回しにされる。その男性係員が指差した黄色いジャンパーの女性の前には点呼の人が列をなしている。向こうにはもっとすごい行列がある。少ないほうの列にならんだが、それでも5分以上待たされる。やっと自分の番になったら「これはあちらの列になります」とまたもたらい回しにされた。共同で運行しているのに、連携があまりにお粗末。最低限、社名と点呼場所を告知するプラカードが欲しい。あと、会社ごとの点呼場所をきっちりと決めて事前に周知徹底しておくべきではないだろうか。たとえば、道路側はA社、八十二の入口前ではB社、などのように。
 並び直した列で10分近く待たされ、ようやく点呼終了。名簿にチェックを入れて「■号車ですのでホワイトボードで確認して下さい」と言われただけ。ホワイトボードって何じゃい。八十二の隣りの東京三菱銀行前に、見取り図と号車番号を書いたホワイトボードがあった。私はすぐに見つけられたが、「ホワイトボード」がどこにあるのかちゃんと告知してもらいたいところ。というか、事前にHPで告知しておくだけでもかなり違うだろう。
 バスは、八十二の前はもちろん、遠くは新宿センタービルの付近まで、色とりどり(いろんな会社から来ているということ)に並んでいる。これらがみなチャーターバスらしい。私の乗るバスは、なにわナンバーの「■■■■観光」のバスだった。観光専業のバス会社だろうか。いちおう緑ナンバーであったように思う(失念)。
 乗降口のところで、パンチパーマのような髪型のおっちゃんが「■号車?」「荷物は預けんでええんか?」と関西弁で尋ねてくれる。「貴重品大丈夫やな」「パソコン入ってます」「保証はせえへんで」というやり取りを交わす。乱暴な口調で保証はしないと言いつつ「(私のカバンの)上には(ほかの人の荷物を)乗せんようにはしとくけど」と、配慮はちゃんとしてくれた。ここで少し安心できた。
 バスは、4列シートのごくごく普通の観光バスである。車内前方についているモニターテレビには「車内完全禁煙」と大書したコピーを貼り付けている。

 23:30発の予定だが、今既に40分。順調に行っても10分オーバーしている。さらに「2人いない」とのことで旅行会社スタッフから待ったがかかり、最終的にバスが新宿西口を出発したのは23:55になってからだった。チャーターバスは点呼がいまひとつうまくいっていないようだ。
 自分の隣りの席は空席だった。「2人いない」のうちの一人が私の隣人であったらしい。非常にラッキー。これで睡眠が少し楽になる。私は案外強運の持ち主かもしれない。但し、後ろの席は就活中の大学生らしい。関西弁で携帯で彼女と通話中。やかましい。おまえみたいな無神経な奴は全社不採用じゃ。
 走り始めてすぐ、パンチのおっちゃんがマイクを持って、行程の案内や移動上の注意などをしゃべり始める。まぎれもなく関西弁である。言う内容はかなりストレートで、お願いと言うより命令調である。「携帯は使用禁止ですから。こういうと誤解する人がいるんですけれども、メールはええんかと。折りたたみの携帯をあけたり閉めたりすると結構音が響きますからね、だからメールも何も携帯は全部禁止いうことです」。JRの車内放送で「標準語」でこんなことを言われたらものすごく尊大に響くだろうが、関西弁の威力ということか。
 運転士は二人。さっきのパンチのおっちゃんと、もう一人角刈りのような髪型のおっちゃんである。バスは新都心の南側から首都高速に入る。中央道経由で行くと思っていたが、どうやら東名経由の様子。
 00:15消灯。出発時刻を除き完全時間厳守でことが進んでいく。のちのPA・SAでのトイレ休憩も、予告された出発時刻はきっちりと守っていた。ちなみに、私の目的地である大阪・難波には、明朝7時30分〜8時に到着の予定。パンチのおっちゃんは「7時45分ぐらい」と言っていたが。
 「消灯」は単に本当に消灯するだけ。夜行路線バスのように、暗幕で完全に真っ暗にするということはない。カーテンは、車庫から出してきたとき(デフォルト状態)は開いているらしい。カーテンを閉めた窓はいくつか見られたが、それはそこの席の乗客が閉めたようだ。
 バスは首都高から東名へ入る。全行程のうち、足柄・美合・草津の3か所のサービスエリア・パーキングエリアでトイレ休憩をした。PAに入ると同時に室内灯を全点灯、「はい、じゃあトイレ休憩です。時間厳守でお願いしますね」とマイクでアナウンス。トイレ休憩の時間はだいたい10〜15分前後である。ドアが開くと同時にみんなワシャワシャと降りていく。私は最初の休憩地・足柄で完全に目が覚めてしまった。しかも、足柄はSAのくせに酒を販売しておらず、アルコールの補給ができなかった。よって、以後はうたた寝であった。

 時刻は5時を回っていただろうか。名神高速の草津PA(滋賀県草津市)。用を足してバスに戻る途中で、男2人が取っ組み合いの喧嘩をしているのを見る。取っ組み合いなんて久しぶりに見ると思って面白く見ていたが、どうも気になることがある。あの2人、なんとなく、自分が乗っているバスの運ちゃん2人に似てるんだよね…。
 バスに戻ってみると、運ちゃん2人はいないようだ。やがて2人連れ立って戻ってきたが、運転席についたほうのおっちゃんを、もう一人が小突いている。あれれ、やっぱりあの取っ組み合いは、俺のバスの運ちゃん同士だったのかい。
 一気に背筋が寒くなった私であった。このバスはちゃんと俺を大阪まで送り届けてくれるのか? 機嫌の悪さのあまりハンドル操作を誤って激突したりしないだろうか? まさに取っ組み合いの喧嘩をするような人たちのことだけに、本気で心配だった。なお、喧嘩の原因は、一人が疲れて、自分の番なのに運転したくないと言ったことであるらしい(推定)。そんなんで大の大人が取っ組み合いの喧嘩をするな。

 私の乗ったバスには京都で降りる人はおらず、そのまま大阪直行である。京都へ行く人は京都行きのバスというのを設定してあるらしい。確かに「途中での行き先変更はできません」ということになっている。
 大阪での停車は、梅田・難波・天王寺・USJ。行き先変更はできないことになっているが、この4つの中では自由に決めて良さそうだ。それとも、トランクの荷物積載場所が決めてあるからダメと言われるのだろうか。
 梅田到着前に、パンチのおっちゃんが「さっきはどうも見苦しいところをお見せしまして…」とマイクで挨拶。あわせて「3つのお願い」を乗客に向かって行う。3つのお願いとは(1)カーテンは開けて元に戻せ、(2)リクライニングシートは角度を戻せ、(3)ゴミは座席に置いとくな、であった。
 梅田で客を降ろして御堂筋を南下。7時少し前、私の乗ったバスは、南海なんば駅西側にどうにか到着した。定刻より30分から1時間も早い到着であった。


 私は9日早朝に東京に帰ってきたが、帰りはJRの夜行快速列車「ムーンライトながら」を利用した。行きとの比較のために…といったカッコイイ理由ではなく、事前に予定を立てるということが嫌いで、行き当たりばったりに「帰ろう」と思ったときに帰りの手配をするためである(時間の融通がききやすい仕事してまんねん、私)。
 JRの快速は大垣(岐阜県大垣市)始発なので、大阪駅から東京までには2回の乗り換えを必要とする。大阪駅21時の新快速に乗ればいいのだが、2回の乗り換えで東京駅着が朝4時42分とあまりに早い。但し、座席はバスよりゆったりしていて、車内の移動も自由、消灯もないから車内での読書は思いのまま、おまけに途中で降りる気になっても臨機応変に対応可能、と、鉄道旅行の多かった私の旅行スタイルにはぴったり合っている。
 そして、今回新たに発見したのは、JRがいかに「安心して乗れる」乗り物であるかということである。JRの社員が、客の目の前で取っ組み合いの喧嘩はしないだろうからだ。
 今回乗ったチャーターバスの運賃は、東京(新宿・東京駅・さいたま・横浜)から大阪(京都駅・梅田・難波・三宮)まで、「スタンダード」で片道4300円。会社によっては3000円台のバスまであるらしい。そこに、今回は金曜の晩だったので500円割増になったが、それでも5000円を切っている。
 一方で、JRの「素の運賃」は東京都区内−大阪市内で8510円。そこに座席指定料金(2月なら閑散期だから310円)がかかる。今や「ムーンライトながら」は、東京−大阪間の貧乏旅行の移動手段としては全くお話にならなくなってしまった。特に「青春18きっぷ」の使える期間であっても、大阪から東京までは2日分必要となるので、上りはチャーターバスと水準が変わらない。
 「ムーンライトながら」の特に上りは、高いのと、大垣での乗り換えと、東京到着が早すぎることの3つがネックである。京阪神、無理でもせめて米原始発にすることと、「ながら1乗車3500円」など割引率のきわめて高い切符の売り出しが必要ではないか。可能なら自由席の連結も必要だろう。本来なら、チャーターバスの利用者のうちかなりの部分を「ながら」が運んでいていいはずである。
 この傾向はここ1〜2年の動きに過ぎない。2003年の1月、私は「あさめぐ」で関西地区をハシゴし、帰りに「ながら」に乗っているが、このときは当日の21時で東京までの指定が取れず「熱海まで」としている。今回も当日の晩に指定券を買っているが、しっかり「東京まで」で座席が取れている。即断は避けたいが、それだけ「ながら」の客数が減っているということだろう。
 まさか「ながら」が「高価な乗り物」になってしまうとは…(絶句)。

結論はこちら
posted by 為栗 裕雅 at 02:00| 東京 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月20日

「振り込め詐欺」に対する銀行の過剰防衛

 私は「銀行口座」のコレクターでもありまして、基本的に普通預金口座または総合口座を開き、通帳とキャッシュカードをコレクションしています。おかげさまで、2001年4月の熊本ファミリー銀行を最後に、日本の一般的な銀行全行での口座開設を達成しました。
 私が全行制覇できたのは、口座集めを始めた時期が良かったからでしょう。本格的に始めた第1号は1996年の住友銀行で、この頃はバブルの後遺症である不良債権問題が徐々に顕在化し始めた時期でしたが、今から思えばまだまだ牧歌的で、メールオーダーパンフを入手すれば、身分証明書のコピーなしでいくらでも新規口座が開設できました(だからといって偽名で口座を開設するようなことはしていません)。
 2000年頃から、本人確認について縛りがきつくなり始め、身分証なしでの口座開設は無理になりました。同時に、住所地から遠い店舗での口座開設もこの頃から困難になり始め、この頃作った口座の中には、窓口で難色を示す行員を説き伏せて作ってもらったものもあります。それでもまだ、近頃に比べれば牧歌的なものです。結局口座を作ってくれているのですから。
 今から同様に口座集めを始めて「全行制覇」するのは、おそらく無理と思われます。こういう状況になったのは、何といっても「振り込め詐欺」の横行のせいです。「俺だよ俺」とカモに電話をかけ、誰かに作らせて買い取ったり偽名で作ったりした口座に振り込みをさせるという手口の詐欺。犯罪の種は尽きまじ、ということを思いますが、そして最初にこの手口を考え出した人物は発想力がすぐれていると思いますが、「通帳・キャッシュカード収集」という趣味が成り立たなくなってしまったのは、先行している一人として残念に思います。

 ただ、最近ではそれだけでは済まなくなってきています。
 銀行口座は、一定期間使われていないと「休眠口座」として、不稼働の状態にされてしまうことがあります。こうなると、口座に残高があっても現金が引き出せないため、最寄りの支店(「口座店」の場合もある)で口座復活ないし解約の手続きをとらないといけなくなります。但し、一定の残高(基準を「1000円」としているところが多い)があれば休眠口座にはなりません。私の作った口座は、口座を開いてからの年数からして、残高が低ければ軒並み休眠口座に変わっているはずです。しかし、休眠口座化を防ぐため、1000円を超えるある金額で残高を全部統一しています。
 それにもかかわらず、一部の銀行で、私の口座が休眠口座にされてしまったケースが出てきました。規定に明記された「休眠口座化のボーダー」となる残高を、上回っていたにも関わらず。
 おそらく「振り込め詐欺」対策で、長年使っていない口座が詐欺に使われることが多いというので、銀行側で勝手に口座を整理したのでしょう。私の口座はほとんど動いていないし、住所地も遠いしで「まさに犯罪的」に見えたのかもしれません。しかし、規定違反承知でやるとは言語道断だし、違反を承知してなくても私が迷惑をこうむったことに変わりはありません。

 というわけで、先日、その銀行に以下のような手紙を送りました。披露したいと思います。個人的事情が書かれた部分は伏字にしてますのでご了承下さい。(緑) は注記。
株式会社■■銀行
 ■■部長殿

 前略
 私は、御社■■支店の口座ホルダーです。本日は、いわゆる「休眠口座」の扱いとその処理に関することで一言申し上げたく、お便りいたしました。
 本状の趣旨は、「休眠扱いにされる必要のない口座を休眠口座とされたため、必要なときに預金が引き出せず、また種々の手続き等の負担を強いられた」ことに対し、抗議の意を申し上げることにあります。

 まず、本件に関する事実関係についてご説明申し上げます。
 私は、御社■■支店において、総合口座を1998年■月に開設いたしました。開設の動機は■■ですが、■■ため、口座は宙に浮いた形となっておりました。しかしながら、私は自分が開設した口座はすべて解約しないで維持しておくことを旨としており、万が一に備えて口座には「■■円」を預金したままとしておりました。この金額は、大多数の銀行で利用頻度の低い口座を「休眠口座」に移行する基準とされる1000円は上回っており、かつ他行ATMの利用により提携手数料を支払っても■■円は引き出せる金額ということです。
 「万が一」の状況は、去る3月■日にやってきました。夜8時頃、私は手許不如意に陥ったため、用意していた御社の預金を引き出そうと、JR■■駅2階の御社の店舗外ATMにおいて残高照会の操作を行いましたが、キャッシュカード・通帳とも使用できない状態となっていました。インターホンで御社センターと通話したところによると、「該当口座がない」状態になっているということです。なお、御社のカード等と一緒に用意していた▲▲銀行のカード(御社と同じ時期に開設、利用状況同様)は何ら問題なく使用できました。(▲▲銀行は■■銀行と本店所在地が同じで、■■銀行よりは格下)
 センターの女性係員から窓口に行くよう指示されたため、私は翌■日朝、御社▲▲支店(口座店の■■支店とは別) に出向きました。▲▲支店でわかったことは、5年間動かしていないため不稼働口座として抹消されていることと、復活の手続きに印鑑が必要なことでした。窓口女性からバトンタッチした男性の行員氏から「預金の取り立てに手数料がかかる」等の不明な説明を受けて、私は大変に驚愕いたしました。
 旅先ですから、口座の取引印など持ち歩いてはいません。手続きは東京に帰ってから行うことにして、■日に御社東京支店に出向いて手続きを行いました。通帳とキャッシュカードは、お預けした上で再発行いただけるということでした。ここでもやはり「5年間」を理由に不稼働にされたという説明を受けました。

 そして本日。■■支店からの配達記録郵便により、通帳のみ確かに受け取りました。
 御社の預金取り扱い規定が同封されていましたので、経緯上、規定を確認すべく規定集に目を通しました。その結果、私は本状をしたためる決意を固めました。

 「総合口座関係規定集」には次のようにあります。
13.(解約等)
(4)この預金が、最終の預入れまたは払戻しから5年間、利息決算以外の入出金がなく、かつ残高が1,000円未満の場合には、当行はこの預金取引を停止し、または預金者に通知することによりこの預金口座を解約することができるものとします。(以下略)

 私の口座は「かつ残高が1,000円未満の場合には」の部分に該当しておりません。
 よって、今回の一連の扱いは、全て不当であったと判断し、強く抗議申し上げます。

 本部サイドの真摯なご回答を期待申し上げます。なお、当方は、手続きにかかった時間と、費用(自宅−東京支店間の交通費)が損失となっていることを念のため申し添えます。
草々

 念のため:手紙文に出ている挿話は全て実話です。


別の角度の話
posted by 為栗 裕雅 at 16:12| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月02日

■■銀行からの回答

 たまには「2005年3月第四めぐ」以外の話題を。

 先日「『振り込め詐欺』に対する銀行の過剰防衛」という記事をエントリしました。
 3月19日(土)にクレームの手紙を出していたのですが、本日、相手の■■銀行から速達便でお返事をいただきました。ご紹介しましょう。今週いっぱいに返事が来なければ銀行名を公表するつもりでいましたから、危ないところでした。

 手紙文は■■銀行■■部長の公印つきで、A4判2枚。公印つきですから正式回答ということですが、公表は前提としていないと思いますので概要のみの紹介にとどめます。

 休眠口座について、当行では2種類の対応を行っている。
1.預金規定にもとづく休眠口座の利用停止または解約
(5年間、利息決算以外の入出金がなく、かつ残高が1,000円未満の口座について、預金取引を停止し、または預金者に通知することによりこの預金口座を解約する取扱)
2.銀行の内部的なデータ管理による処理
(5年間、利息決算以外の入出金がなく、かつ残高が1万円未満の口座について、コンピュータ管理からはずす取扱)
 前者は口座規定集に記載、後者は内部処理。前者の目的は犯罪防止のため、後者はコンピュータの負荷軽減が目的。今回の為栗のケースは後者。
 後者については、口座所有者から申し出があった場合には直ちに元の状態に戻す。但し、口座は一時的に使用できない状態となるため「この取扱の主旨を説明し、お詫びを申し上げたうえで」口座復活の手続をしている(為栗:店頭で「5年間で抹消」という説明は受けましたが、詫びてもらった記憶はありません)。

 しかしながら「為栗様が予定されていた預金の引出しが直ちにできず、かつ弊行の複数支店に足をお運びいただいた点等、多くのご迷惑をお掛けすることとなり、大変申しわけございませんでした。謹んでお詫び申し上げます。」
 今後、同様のケースであっても口座の復活がスムーズに行われるよう、取扱手続等を整備して参りたい。

 なお、上記2番目の取扱は全国の銀行で一般的に行われ、「弊行独自の取扱」ではない。基準額「残高1万円未満」もほぼ共通。ただし、基準とする休眠年数は銀行によって異なり、5年〜10年の間で各銀行が任意に定めている。為栗の他行口座については「弊行と基準年数が異なっていたため、通常の引出しができたものと思われます」。

 今回私に手紙を下さった■■部長さんは、誠実に対応されたと思います。「誠実に」というのは、客の顔を立てつついかに会社の主張を客に納得させるか、という点において。従いまして、受け取った回答の内容そのものには納得していません。
 「2種類の対応」って、ダブルスタンダードじゃないんですか。「コンピュータ管理からはず」されたら、口座が利用できなくなるんですから、そういうのを社会通念上「利用停止」というわけです。「管理の方法を変えただけだから利用停止ではない」というのは、いかにも銀行らしい論の運び方だと思いました。

 とはいえ、私としてはこれで話を終わりにしておきます。色々なことがわかって有意義だったと言うべきでしょう。

 銀行口座コレクターの皆さん、やはり5年に一度は口座を動かしましょう。私は明日、近所の銀行でキャッシュカードの確認をしてみるつもりです。月曜日は東京支店のハシゴかな(鬱)
posted by 為栗 裕雅 at 20:31| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月03日

キャッシュカードを確認してきた

 昨日のエントリのとおり、私の手持ちのキャッシュカード(150枚以上あります)を、近所の銀行で1時間半かけて全部残高照会してきました。
 残高照会できなかったのは思ったより少なく、先日のクレーム行を含めると次の各行だけでした。

・三井住友銀行系のネット専業銀行
・三菱信託銀行の旧日本信託店舗
・最近業績不振の家電メーカー系の銀行
・甲信越地方某県の2番手地銀。
・首都圏某県のトップ地銀。
・首都圏某県の2番手地銀(上記と同じ県)。
・中国地方某県のトップ地銀(本店は政令指定都市)。
・中国地方某県の第二地銀(某お騒がせIT企業と組んで有名になった)。

 これらのうち、ネット専業銀行は口座管理手数料の引き落としができない残高しか入れてないので当然、三菱信託は旧日本信託のキャッシュカードの使用停止が通知されているので初めからわかっている、というわけで下の6行が「不埒者!」というわけです。
 月曜日以降、時間ができたら各行の東京支店をハシゴして、口座復活の手続きをしてこようと思います。6行のうち1行は先日処理済み、1行は実質ネット銀行みたいなものなので、対象は4行ということです。思ったより少なくて本当によかった。

 「近所の銀行」にはトラフィックを増大させてしまって申し訳なし。
posted by 為栗 裕雅 at 23:59| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月20日

案の定ガサッと処理していた広島銀行ほか

 19日夕方の「為栗ニュース」の記事です。「広島銀、本人の了解得ずに口座を凍結
 記事の中にもありますが、私は本件の当事者です。私が同行に持っている口座が、「口座の不正利用防止策として、5年間出入金がなく残高1万円未満の口座を今年2月に凍結」されたうちの一つだからです。

 同様の事例、つまり「勝手に口座を凍結された」銀行について、当ブログの過去記事では奥歯に物の挟まったような言い方しかしていませんが、新聞報道もあったことですので銀行名を開示しておきましょう。「不埒な」下半分の銀行のうち、「中国地方某県のトップ地銀(本店は政令指定都市)」というのが、今回問題になっている広島銀行です。他の銀行は以下のとおり。「甲信越地方某県の2番手地銀」は新潟県の北越銀行、「首都圏某県のトップ地銀」は千葉銀行、「首都圏某県の2番手地銀(上記と同じ県)」は千葉興業銀行、「中国地方某県の第二地銀(某お騒がせIT企業と組んで有名になった)」は山口県の西京銀行。
 このあたりの事情は、当ブログの過去のエントリで詳述しています。以下のとおり。「振り込め詐欺」に対する銀行の過剰防衛(2005.03.20) ■■銀行からの回答(2005.04.02) キャッシュカードを確認してきた(2005.04.03)

 口座凍結に至る経緯は、私が予想したとおり。長年使っていない口座が「振り込め詐欺」に使われることが多いというので、銀行側で勝手にガサッと口座を整理したのです。私の口座はほとんど動いていないし、住所地も遠いしで「まさに犯罪的」に見えたんでしょうね。

 それにしてもひどい話です。中国財務局(財務省の中国地方管轄)によると「不正が疑われる口座を凍結する場合は、事前に名義人へ連絡するのが原則」だそうですが、これら5つの銀行すべてが、私への事前連絡なしに口座を凍結しています。
 こともあろうに、私を「不正の疑いあり」とは、なんと失敬な。

 口座を凍結された広島銀行については、先日東京支店(日本橋)まで口座を復活しに行ってきました。
 手続としては、旧口座の解約→新口座の開設というプロセスをたどりましたので、解約するつもりはなかったのですが口座番号が変わってしまいました。銀行側の都合で勝手に口座を凍結されたのに、支店まで足を運ばされ、口座番号も強制的に変えられ、しかもきわめて事務的に処理されました。銀行の都合で口座を凍結されたのを「長年使っていなかったのが悪い」ような言い方をされて、かなり腹を立てていたのです。

 なお、広島銀のほか、千葉銀行でも口座番号を変更させられました。北越銀・西京銀では番号は変わりませんでした(千葉興銀にはまだ行っていません)。
 広島銀ほかに対しては、クレームの手紙を出してやろうと思っています。

 とにかく、今回の一連の措置は、「頼みもせんことを勝手にされて迷惑を被った」という意味で、マイク○ソフトの製品と一緒ですね。

 蛇足。
 ついでに八つ当たりしておけば、通帳に貼ってある副印鑑票。窓口に通帳を出したときに、「制度が廃止になった」ことを理由に、通帳の所有者である私に断りなく勝手に剥がす処理をする銀行が多いです。これも、頼みもせんことを勝手にやってくれるワードやエクセルと一緒です。なぜ剥がす前に所有者に一言聞かないんですか(もちろん剥がされたくないからこういうことを言っているわけです)。上で名前を挙げた5行では、北越・西京の2行が東京支店でこれをやってくれました。千葉銀と広島銀でも同じことをされそうになったのですが、強く言って剥がさないままにしてもらいました。客の事情など全く考慮せず銀行側の都合だけで動く体質が、これらの銀行では特に強いと言えそうです。

<本記事に関連する当ブログの過去記事>
2005.03.20 「「振り込め詐欺」に対する銀行の過剰防衛
2005.04.02 「■■銀行からの回答
2005.04.03 「キャッシュカードを確認してきた

謝辞
posted by 為栗 裕雅 at 01:46| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月31日

システム統合後の大和店、レシートが変更に

 この記事のメインテーマは、「りそな・旧大和店のシステム統合」です。本当は、先週の月曜日に朝一番で取材してきて「為栗ニュース」の記事にすべきところでしたが、故あってか故なくしてかわかりませんが1週間延ばしてしまいました。というわけで、「遊牧民のゴタク」の「レポート」カテゴリで扱います。
 周知のとおり、りそな銀行ではこの5月から9月にかけてシステム統合を行っています。旧あさひ銀行のシステムをベースにした「統合システム」というのを作り、そこに旧大和銀行の店舗を5グループに分けて合流させるわけです。その第1回が5月21・22日に行われ、23日(月)から4支店で稼働を開始しました。

 昨日、関東地区にある2店のうちの一つ、神田駅前支店に行ってきました。新システム稼働の状況をご報告しましょう。

・神田駅前支店は旧あさひの神田支店と同居している。したがって「神田支店」の機械と「神田駅前支店」の機械が並んでいるわけだが、その様子は同居店舗化してからほとんど変わっていない。「機械によってサービス内容が異なります」という立て看板が撤去されて、さっぱりした印象。
・右端に固められた神田駅前支店の機械は3台。全機種オムロンJXだが、左の2台は合併後に投入された機械(筐体アイボリー)で、一番右の1台は大和銀時代のもの(筐体ブルー)。
・白の機械をまず試してみる。使用感はシステム統合前とほとんど変わらないが、「引出」の取引で金額を指定した後「確認」ボタンが必ず出るようになったのが旧あさひ式。
・レシートは【写真】参照。オムロンは印字のサイズが他のメーカーより小さいようで、それに合わせて、レシートの用紙は小さめのデザインで左上に寄っている。内容は見てのとおり富士通用の用紙とほとんど変わらないが、裏面に「IX・JX用」の文字が見える。「HX用」の用紙は作るのだろうか? 関東では江戸川南、西早稲田あたりでまだ使っているはずだが…システム統合時に入れ替えか。
・レシート用紙の製造年月が「16.11」とあるから、平成16年11月、つまり去年のうちに印刷して準備していたということだろう。去年11月というと、ちょうどシステム統合の概略が正式発表された時期にあたる。
・白の機械と青の機械では、同じJXでも画面表示が異なる。青はフォントが明朝体のままだが、白の機械ではゴシック体に変更されている。

 なお、システム統合終了店の口座で、通帳を新通帳に切り替えなかった場合に通帳印字がどうなるのか、気になるところです(大和店の旧通帳も引き続き使えますので)。私の「旧大和の」取引店の一つが、6月12・13日にシステム統合しますので、その際に検証します。お楽しみに。


【写真】システム統合後のオムロン機用レシート(神田駅前支店)。
20050531-1.jpg

<関連記事>
「為栗ニュース」2004年08月17日「りそな、オムロンATM旧型機の交換進む
「為栗ニュース」2004年11月21日「りそな、システム統合予定を発表
posted by 為栗 裕雅 at 14:54| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月05日

近畿大阪銀行のネットバンキング

 りそなグループの地方銀行、近畿大阪銀行のネットバンキングを申し込んでみました。以前にも書きましたが、私は近畿大阪銀行に口座を4つ持っています(口座を作った時には4つ全部別の銀行だったんです)。動機は、残高をネットで管理しようと思ったことと、やはりりそなのウオッチャーとして一度試してみようと思ったことの2点です。

 メールオーダーのパンフはここから請求できますが、今回は2月に大阪へ行った時に現地の支店でもらってきたパンフを使いました。申し込みは4つの口座のうちとりあえず一つだけ。
 記入・捺印したものを郵送して1週間くらいで「初回ログインパスワード」が書留郵便で届きます。あとは下のアドレスにアクセス、パスワードと一緒に郵送されてきた「初期設定ガイド」に従って入力するだけ。
https://www2.paweb.anser.or.jp/BS?CCT0080=0159

 地銀・第二地銀は同じネットバンキングのシステムを使っているところが多いようで、上のアドレスの「0159」を「0161」に変えてみると池田銀行のログオン画面につながりました。0170だと山口銀行でしたし、0554だと関西アーバン銀行でした(他にも複数試しました)。言うまでもなく、これらの数字はその銀行の金融機関コードというわけです。

 使い勝手は、りそなグループ内で比較しますと、一昔前の「りそなダイレクト・type red」みたいな感じです。ユーザーIDを決め、ログインパスワードと確認用パスワードの2種類を使って取引します。「type blue」みたいな乱数表のカードはありません。
20050705-1.jpg
 取引画面のコピーを掲げました。下のほうで「リアルタイム残高照会」のボタンの色が変わっていますが、これは深夜帯のためリアルタイムで照会できなかったせいです(リアルタイム照会は平日07:30〜21:00、土休日09:00〜17:00)。このあたりが「一昔前の」と断った理由です。

 取引履歴には、取引をした店名などは現状出ないと思われます。そこが、近畿大阪が「めぐラー」にとって魅力に欠ける点ですが、今実施されているりそな銀行のシステム統合が終わったら次は近畿大阪の番ですから、今後に期待しています。これが実現しますと、りそなめぐりに「近畿大阪めぐり」が加わって、幅が広がるわけですね。
posted by 為栗 裕雅 at 11:07| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月27日

RESONARA

 出版の仕事が先日一区切りついたことはご報告しましたが、別の仕事が今夜宅配便でやって来ます(受け取り済み)。それを待つ間、ヒマなわけでもないのにこんなものを作ってしまいました。「RESONARA」(りそなら)。(IEだと文字が読めるようにならないみたいですので、ファイヤーフォックスか何かでご覧下さい。)

 先日ようやく、奈良銀行とりそな銀行との合併の詳細が発表されました。「あさめぐ」(この呼称は変えないといけませんが)を楽しむ「あさめぐラー」としては、りそな銀行の店舗が増えるということ、イコール「めぐ」の楽しみが増えるということです。
 というわけで、合併によりりそな銀行に増える現奈良銀行の16店舗を、現りそな銀行の8店舗とともに奈良県の地図にプロットしてみました。それがこの「RESONARA」です。処理やデザインが洗練されてないのはご容赦を…。ネーミングも極めて安易です。
 合併後は、新奈良営業部(旧奈良銀行本店)を中心とした「奈良地域」を、この地図の範囲で形成することになります。

 作ってみて感じたのは、奈良県という地域の意外な偏りです。左下の略図【注1】のとおり、本図には奈良県全図の北西側4分の1しか使っていませんが、これで奈良県内の店舗網がすっぽり収まってしまいます。言ってみれば、奈良県はこの部分だけで事実上終わりということ。もちろんこれは、残りの部分の人口が非常に希薄だということです。人口13億人の大半が東側3分の1に張り付く中国に似た状況です。
 ということは、奈良県内で店舗数を増やすのは非常に困難だということです。奈良銀行はりそなグループ入りした時点で25店舗ありました(9店舗閉鎖)。銀行の店舗数としては確かに少ないですが、地図でみると、奈良銀の店舗はほぼ飽和状態で、追加してよいと思える場所は王寺・御所ぐらいしかありません。
 ちなみに、りそなグループ入りしてから閉鎖になった9店舗は、宅地開発された山奥【注2】の1支店を別にすれば、全て奈良市周辺の店舗でした。奈良銀行の前身・三栄相互銀行は戦後発足の相銀で【注3】、戦前の無尽会社を起源とする他の第二地銀より条件が不利でしたから、店舗網拡大の過程では、経営体力に応じて歯を食いしばって拡大してきたことがうかがえます。

 奈良県の県域は中途半端と言えなくもないですが、旧大和国の領域と一致しています。「国」の制度は大化改新のときに制定されたものですが、現在でも「讃岐うどん」などの言い方が死滅せず残っているぐらい、日本人には定着した地域分けです。りそなの支店名にも「河内小阪」「河内松原」「河内千代田」なんて例があります(なぜ河内ばかりなのだろう)。
 現在の奈良県は、明治初期の廃藩置県で一時葬り去られかけた地域でした。廃藩置県はまず3府302県でスタートし、その後の統廃合で現在の形に近づいてきたわけです。この過程で、奈良県は隣の「堺県」(旧和泉国と旧河内国を合わせた地域、県庁堺市)に統合されてしまいます。さらに堺県は大阪府に吸収されましたので、現奈良県はかつて大阪府の一部でした。これを旧大和国だけ分離独立して、現在の奈良県が誕生したのです。
 廃藩置県は旧国と人口規模を基準に行われたので、生駒山地・金剛山地の向こう側と合併させてしまうようなことも平気で行われたんですね。交通機関の発達した現代ならともかく明治初期の話ですから、相当無理があったと思われます。大阪と奈良を結ぶ鉄道(JR関西線、近鉄奈良線)は、地図でみると変なカーブを描いてますが、大阪と奈良を一直線に結ぶと山越えできないためです。生駒・金剛はそのぐらい急峻な山地だということです。この辺の事情は、実際に現地に赴いて(「めぐ」をして)確かめてみて下さい。

 ほな、りそなら。もとい、さいなら。


注、追記など
posted by 為栗 裕雅 at 01:51| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月01日

駿河と伊豆の境界について思索するが…。

 ひさびさの更新です。現在、本の再校戻しに追われているところです。疲れがかなり溜まってますので、ブログの更新で軽く現実逃避。


 静岡県三島市在住の私の知人が、「駿河××日記」というタイトル(仮名)でブログをやっています。この人と知り合ったのは3年ほど前なんですが、最近存在を知ったブログを一読して、私はたちまちこの人のファンになってしまいました。

 ところで、私は地理的な話題が好きなのですが、タイトルを見ていてハッと気づきました。
 三島って「駿河」だっけ?

 東西に長い静岡県は、西から「遠江」「駿河」「伊豆」の旧3国に分かれています。熱海だったら間違いなく伊豆でしょうが、三島や沼津は果たしてどっちなんだろう。

 沼津は「駿河」でしょう。何しろここには「スルガ銀行」の本店があります。
 JR三島駅からは、「伊豆箱根鉄道」というローカル私鉄が出ています。修善寺や伊豆長岡方面に行く電車ですから、まあ伊豆地方の電車ですよね。
 でも、この電車の路線名は「駿豆線」。つまり、駿河と伊豆を結ぶ路線ということなんですよね…。


 というわけで、地図で調べてみました。
 愛用している帝国書院の地図帳を見ますと、「旧国界」というのがありまして、芦ノ湖の西側から南西方向に線が延びております。この線は三島市の西側を通って、伊豆長岡の西側で海に接しています。
 つまり、三島市は「伊豆」であることが判明しました。

 しかし。
 この知人の勤務先は(場所は伏せますが)旧駿河国なんです。というわけで、ブログのタイトルが間違ってるというわけではないのですね。ちゃんちゃん。

 それにしても、伊豆と駿河の境界線は、かなり微妙なところを走っています。三島市は旧伊豆国なんですが、三島市街地と完全に一体化していると思われる駿東郡長泉町や清水町は、旧駿河国なんです。郡の名前からして「駿東郡」ですから。
 国境と聞くと川端康成の『雪国』が頭に浮かびますが、この知人は毎日「国境」を超えて通勤してるわけです。大変なことですな。

 ほなさいなら。
posted by 為栗 裕雅 at 02:01| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月10日

CI戦略を変えた(?)東急

 東急東横線の渋谷駅で買ったパスネットカード【写真左:クリックで拡大】を使っていて、何気なくカードの券面を見て驚いたことがあります。購入日は6日(月)。
20060310-1.jpg
(デザインについて語るのが目的ではありませんので、マルCがからみそうな部分にはモザイクをかけました)。

 東急の正式社名は「東京急行電鉄株式会社」といいまして、これまで印刷物のたぐいに会社の社名ロゴが入る際には「東京急行」というのを使っていました【写真右:別のパスネットカード】。
 今回のを見てみて下さい。「東急電鉄」というロゴになっています。正式社名が変わったわけではなさそうですが、いつから使い始めたんでしょうかね。少なくとも私は初めて見ました。
posted by 為栗 裕雅 at 15:29| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
記事一覧(最新の20本)